応答への応答

id:toroneiさんから、昨日のエントリに対してブクマで応答をいただいた。

2008年03月09日 toronei blog, はてな 批判でも中傷まがいになっているトラバは読みたくないし、読ませたくない。貴兄はこういう風に論を組み立てて丁寧に批判できている、ブクマで煽るような口調でするような事からしない方が良かったのでは?

ということである。
このブクマコメントは、2文(実質3文?)で成り立っている。
おそらく、1文目が私の論への一応の応答で、2文目以降が私の行いに対する何らかの指摘なのだろう。
こちらが指摘したこととのかみ合ってなさに少々悲しくなったが、まず、いただいた応答がかみ合っていないこと(toroneiさんのブクマコメントが、私の問と指摘への応答になっていないこと)から指摘させていただく。

「批判でも中傷まがいになっているトラバは読みたくないし、読ませたくない」

「中傷まがい」?

前回のエントリで、私はこう書いた。

「丁寧な文面」じゃないことを理由に「相手」をしないのならば、どの辺が「丁寧」でないのかを指摘するべきである。それが、toroneiさんのブログに「価値を見いだしてくれる、ありがたい人」も含めた読者への説明責任であろう。

つまり、私が指摘しているのは、「丁寧でない」あるいは「中傷」であるから相手をしないのならば、どこが「丁寧でない」あるいは「中傷」なのかを指摘(説明)し、その上で「だから相手をしない」とするべきである、ということである。「中傷まがい」だから「読みたくない」と、toroneiさんの立場を主張されても、私の指摘に対する応答にはなっていない。
また、前回私はこうも書いた。

私の主観では、実際に、「丁寧」な文面を備えた批判もなかったことにされた例を見てきた(これについては今後取り上げる)

繰り返すならば、「中傷」だとか「丁寧でない」といった判断は、どのようにしてもある程度は主観に委ねられざるを得ない。だからこそ、少なくとも「自分の判断ではここが中傷的である(だから相手をしない)」だとか「中傷とはこういったものである」と(要するに判断基準・削除基準を)説明する必要がある、ということである。

「読ませたくない」

以下はかみ合っている、かみ合っていないとはやや別の話だが、理解できないので説明をお願いしたい。
この文章には、もう1つ分からないところがある。「読ませたくない」という部分である。
「読みたくない」という部分だけならば、「どの部分が『読みたくない』かを言えばそれは別にかまわないだろう」と思えるのだが、なぜそれを他人に「読ませたくない」のか。その理由が全く明らかになっていない。「読ませたくない」ということが、トラバ削除の理由の大部分を占めていると思われるので、なぜ、中傷的なものだと読者に「読ませたくない」のかをきちんと説明していただければありがたい。

「貴兄はこういう風に論を組み立てて丁寧に批判できている、ブクマで煽るような口調でするような事からしない方が良かったのでは?」

次は、いただいた指摘に対する応答をする。
こういうことを指摘するだけの字数の余裕があるのなら、私が問うたことや指摘したことへの応答を先にしてほしい。問われたことや指摘されたことに先に答えた上で、自分の主張や指摘を行うという手順を踏んでいただかないと、会話が成立しない。続いて、これも指摘しておきたいが、仮に私が、「煽るような口調」でブクマコメントをつけていたからと言って(そのような意識はないが)、toroneiさんが批判的トラバを削除することが正当化されるわけではないし、私が昨日書いたエントリの意味がなくなるわけではない。
また、念のために言っておきたいが、私は「煽るような口調」を用いたという意識を持っていない。どれが、なぜ「煽るような口調」と判断できるのか、指摘してもらえればもう少し考える余地も出るが、これだけでは何とも言いようがない。

 

ここを見逃しておられるのだろうか

続いては、再度の指摘をさせていただく。
前回のエントリで私は、

toroneiさんが「相手」をしているのは、自分に賛同する人のメールやトラバのみである。本来であれば、「丁寧な文面」と批判が両立することもある。私の主観では、実際に、「丁寧」な文面を備えた批判もなかったことにされた例を見てきた(これについては今後取り上げる)。「丁寧な文面」じゃないことを理由に「相手」をしないのならば、どの辺が「丁寧」でないのかを指摘するべきである。それが、toroneiさんのブログに「価値を見いだしてくれる、ありがたい人」も含めた読者への説明責任であろう。

toroneiさんの文章が「評論」ならば、「『toroneiさんの評論』に対する評論」もまたされて当然。それを「極点に嫌悪感を示したり臆病になって(略)封じようとするのは、矛盾しないかい?」。無視するなら無視するでいいだろうし、コメント欄を閉じるのも勝手。だが、批判トラバを削除してしまい、なかったことにする(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/toronei/20070516/B)のは批判者の言論を封じることに他ならない。

と書いた。この文章を、toroneiさんは読み飛ばされたのだろうか。ここを読んでいたら、「批判でも中傷まがいになっているトラバは読みたくないし、読ませたくない」などという応答で、「応答が成立している」と考えることはできないと思うのだが。
要するに、私は、「きちんとした理由を示さずに(恣意的に)、削除したり『読ませたくない』とするのは、ご自身が批判している『言論を封じること』と同義である。言論封殺を避けたいのならば、削除時に『中傷』の基準を示す必要がある」と指摘しているのである。「『中傷まがい(略)は読みたくないし、読ませたくないから』削除するんです」では応答になっていないことがご理解いただけるだろうか。

最後に

このエントリの最後に、一点質問したい。toroneiさんは、「批判」と「中傷」にそれぞれいかなる定義や判断基準を持っておられるのだろうか。
それを明らかにしないままだと、「批判は認めるけど中傷は削除する」という主張は、「恣意的に削除を行う」=「自分の基準で言論を取捨選択する」という主張と変わらないものとなってしまう。「言論を封じること」を本当に問題視するのならば、「恣意的に削除を行う」などということは認められないはずである。言論封殺を避けるためにも、定義・判断基準を示していただければと思う。

追記
私が言及したことにtoroneiさんが気づかれないかもしれないので、元々の話題であるhttp://d.hatena.ne.jp/toronei/20080308/Eに再度トラバを飛ばさせていただく。