何か妙なことを書いておられる

toroneiさんの訂正文

 2ちゃんのtoroneiさんウォチスレで、本村さんのエントリ(http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080422/F)に何か追記がなされているとの指摘がされる。
 そこで見てみたところ、以下のように訂正が入っていた。

誤解を恐れずに言えば田舎の高卒(一部のソースだけで書いていましたが、大卒ですね失礼、というか当日に訂正コメント書いたはずなのに投稿きちんとしていなかったようでスミマセンその日に直したというか、訂正文入れたつもりだったのに不思議、でもまあ色々と釣れたと思うべきなのかな、釣りたくもないんだけど)の一介のサラリーマンが、

強調部分が追記された部分。強調は私が行った。
 とことん逃げようとする人だと感じさせられた。
 

訂正文も変である。

 しかし、この訂正文も変であろう。
 まず、多くの人が反応したのは、訂正が出されたこの部分だけではないだろう。反応(それも批判的な)が出ていたのは、この間違い部分に代表される、

1.きちんと調べていないこと*1
2.にもかかわらず何かを語ろうとする無責任さ
3.事件や他人にかこつけて自己主張をするひどさ

だったのではないだろうか。
 また、「釣れたと思うべきなのか」と感じるのは勝手だが、それをわざわざ訂正文に入れる了見にもあきれる。toroneiさんは、「想像力」の重要性を説いていたのではなかったか。人が殺された重大な事件に関して何かを論じようとし、誤認の訂正ついでに「釣れた」などと表現することが、当事者にどのような思いを抱かせるか。(当事者の意思を、勝手かつ過剰に忖度して行為を制限するべきではないと個人的には思うが)toroneiさん的な「想像力」が欠けているのであろう私ですら、気持ちが悪くなる。何が「想像力」だ。
 最後にもう1つ。多くの反応が出た中で、しかも一度は「一存では紹介できない」などとわけの分からない逃げを打っておきながら、なぜこの一部分だけ反応し訂正しようとするのか。(toroneiさんが最近乱用する言葉を流用させてもらうなら)toroneiさんの記事に対してなされていた批判の「本質」はそこではないだろう。
 「自分が何を言われているのか理解して」というのは、もしかしたらtoroneiさんには過大な要求なのかもしれない。しかし、せめて「自分が何を書いているのか(自分の文章が結果として何を言っているのか)」くらいは理解してほしいものである。

*1:しかし、一部のソースだけで何か書くって、「メディアリテ“ア”ラシー」的にはどうなのか。