反応をいただいたので

 またも反応をいただいた。
 しかしこの人の応える/応えないの基準が本当に分からない。
 

発端

 反応をいただく発端となったのは、私が、toroneiさんの(http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080427/M)というエントリにおける

そう移転反対の人たちは、いま問題になっている賃料とかについて、全く回答をしていないんですよね、相手の指摘している問題について、何も回答していない以上、この人たちの運動は反対側の意見の人たちには、何も届かないと思います。

僕としても、ワッハの資料館を安価で残す道が出来た方が良いと思うし、正直あの場所で維持するお金や、ワッハホールや小演芸場なんていう民間や市営の施設でも代替えが効く施設を維持するお金があるのなら、「大阪府立国際児童文学館」の維持の方にお金を回して欲しい。

という文章に対して、

相手の指摘している問題について、何も回答していない以上」って、ご自分のことですか

とブクマ(http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080427/M)にて指摘をさせていただいたもの。
 それに対してtoroneiさんから、

 ↑言われている意味がよく分からないです、僕はあなた方に、なんの要求もお願いもしていませんが? 僕は貴方と関わるつもりは一生ありませんので、貴方の要求に応えないし、私も貴方に何の要求もしていません

とお返事をいただいた、というもの。

言われている意味が分からないとのことなので

 意味が分からないとのことなので、説明をさせていただく。
 toroneiさんは、私が引っかかった「相手の指摘している問題について、何も回答していない以上、この人たちの運動は反対側の意見の人たちには、何も届かないと思います」という問題について、

1.焦点となっていることを、「何らかの(この件では施設移転反対の)要求」に限定している。
2.「相手」を、その「何らかの要求に反対する人間」という限定をかけている。

という前提に立っておられるのだろう。
 別にどのような前提に立とうがそれは自由だが、toroneiさんが施設移転反対派の人に対して、本文で書かれている批判(「相手が指摘していることに何も回答してなければ、説得力がない」(大意))は、上記1、2のような個別特殊事例に限定されることではなく、より一般的な話にも共通するものであると私は考えた。その上で、ブクマコメントを付けた。
 つまり、「要求した者が自分に向けられている批判を無視している」という事態に限定することなく、こうした自体をより抽象的に考えると、

4.ある論aを主張する論者Aがいる。
5.論aには瑕疵があると論者Bから批判bがなされている。
6.しかしAはbに応えようとしない。

という構造が取り出せる。そして、こうした構造は、この件以外の議論にも共通する話であろうということである。
 その共通性を念頭に置いた上で、私は、

7.toroneiさんは上記4〜6の論者Aに該当するような振る舞いをこれまでも何度も繰り返しており、
8.ゆえに、同様の行為をする「移転反対の人たち」に対して、「相手の指摘している問題について、何も回答していない」などと批判するのは「自分を棚上げ」にした振る舞いである

と指摘したわけである。 
 もっと簡単に言うならば、頭の上に蝿がブンブン飛ばしている人間が、頭の上に蚊をブンブン飛ばしている別の人間に、「うわ、蚊なんか飛ばしてやがる」と非難するようなものだ、となるだろうか。「あんたも似たようなものじゃん=人のことを言うなら、まず自分をどうにかしたら」という話にしかならないだろう。
 意味がご理解いただけたであろうか。「自分が何かを要求している人間なのか(移転反対派)」「自分が何かを論じているのか(toroneiさん)」かなどというのは、「蝿」か「蚊」かといった程度の違いしかなく、「何かを要求しておきながら/論じておきながら、自らの要求/論にされている批判を無視して主張だけする」という根本的な構造は全く一緒なのである。

僕はあなた方に、なんの要求もお願いもしていませんが?

 というわけで、この「僕はあなた方に、なんの要求もお願いもしていませんが?」という文章も、完全に齟齬をきたしている。

僕は貴方と関わるつもりは一生ありませんので、貴方の要求に応えないし、

 続いて、「僕は貴方と関わるつもりは一生ありませんので、貴方の要求に応えないし」という文章もなかなかいい。
 「僕は貴方と関わるつもりは一生ありません」と、「貴方=Body」にコミュニケートしようとする矛盾。「今既に関わってるじゃないですか」って指摘が来ることくらい想定しましょうよ。さらに言うと、「私の批判や指摘に応答をして、私から再批判され、逃げる」という過去は(現在もそうだが)どうなったのか(拙ブログ参照)。toroneiさんの「一生」から、私が批判してきた過去、あるいは私の批判から逃げた過去はなかったことにされたのだろうか。この「一生」という単語には「今後の人生」という含意があるだとか、あるいは「自分の一生はまだ始まっていない」といった個性的な思想をお持ちだということならば、まだ理解できるが。ともあれ、言葉はきちんと使われた方がいいのではないだろうか。このような矛盾に満ちた記述を平気でやれるのは興味深い。
 これは若干冗談交じりだが、以下からはちょっと真面目に指摘していく。
 まず、関わるつもりがあろうとなかろうと、ブログのような不特定多数の目に留まる場で何かを論じる以上、toroneiさんの想定しないところから批判や議論が生起することは絶対にあるわけである。したがって、「関わるつもり」の有無が、批判(後述するように「要求」はやってないので知らないが)を抹消することの理由として成立するわけはない。
 さらに、「貴方の要求に応えないし」などとおっしゃって、私がブクマで「要求」をしているように勝手に話を進めているが、それは違う。私がこのブクマで提示しているのは「要求」ではなく、toroneiさんの論にある矛盾等への「指摘」と「批判」である。また、何も発端となったこのブクマに限らず、その他のブクマや拙ブログにおいても、toroneiさんに「主張や決定を変えろ」といった「要求」をしてきたつもりはない。
 もっとも、一度だけ、私がtoroneiさんに「〜してください」と「要求」したことがある。しかしそれは、toroneiさんが私を不当に謗ったため、「それはやめてほしい」としたものである(http://d.hatena.ne.jp/Body/20080414#p1)。つまり、そもそもtoroneiさんが私に対して行った誹謗が発端となって、私の「要求」は提示されているわけである。
 最後に、toroneiさんがやっているのは、「要求(などしていないので、議論や批判と読み変えるが:Body注)に応えない」などという行為ではなく、自分への懐疑的な議論や批判をなかったことにする=抹消するという、言論封殺に近い行為ではないか。このような行為が、「関わるつもり」の有無で正当化されるわけもないのは、言うまでもないだろう。批判に応えず逃げるくらいならともかく、批判的トラバをはじき、そうでありながら別の場でちょこちょこと*1自己正当化を図り議論の相手を非難するようなやり方を取っておきながら、こういうことを言うのは不誠実もいいところである。
 したがって、

僕は貴方と関わるつもりは一生ありませんので、貴方の要求に応えないし

などというのは、過去から現在に至るやり取りを無視した、非常に自分勝手な逃げと自己正当化だと指摘しておきたい。

最後に

 どうでもいいが、

僕はあなた方に、なんの要求もお願いもしていませんが? (略)私も貴方に何の要求もしていません。

などと、同じことを何度も繰り返すくらいの文字数的・時間的な余裕があるのなら、もう少し建設的なことを書かれたらどうか(これは提案)。
 また、もう1つ。「あなた方」って、私は1人ですよ?誰と会話をしているのですか(卓越した「想像力」で、私の背後に誰かを見られても困ります)。

*1:2ちゃんのウォチスレ経由で知ったが、Twitterなどで。