ありがたいことである

 またもブクマに反応をいただいた。
 「関わるつもりは一生ない」のではなかったのだろうか、などと野暮なことは言わず、せっかくの機会なのでありがたく応答させていただく。

発端

 今回の発端は、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080427/Iのエントリ。
 toroneiさんが、ぜんじろうさんの現場主義を賞賛し、

 自分がぜんじろうは偉いなあと思うのは、興味の幅が依然として広い事と、こうして現場取材していることなんですよね、現場に行って見てきたい感じたいという欲求が強い、これが世間の人が言うように、例えぜんじろうは元々才能の器が少なかったり、もうそれも枯れてしまったとしても、この部分だけで十分に評価されるべきだと思うんですよね、だっていまの芸人って、ここまで好奇心の幅が広くない人が多いし、絶対に芸人としてこの場にいたら得る物は大きいんですよね、だから見習って欲しいなと思うんですけどね、

とした文章に、私が、http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080427/Iにて

ぜんじろうさんの現場主義を「偉い」と思うなら、toroneiさんも見習ったらどうですか?安全圏から物を言うだとか、見てもいないのに物を言うだとかをやめて。

とコメントしたというもの。
 そうしたところ、toroneiさんより、

素朴な疑問なんですが、素人でアマチュアで本職があるブロガー風情に何を期待されているんですか? ぜんじろうさんというプロに対して、あなたがそれを僕と比較するのは失礼ですよ

と返答があった、という流れ。

最初に

 最初にちょっと指摘しておきたいのだが、私は「自分(=toroneiさん)は、『安全圏から物を言う』『見てもいないのに物を言う』などの行為はしていない。それなりにきちんとやっている」と反論が来るかと想定していた。しかしtoroneiさんは違っていた。自分が「安全圏から物を言っており、見てもいないのに物を言っている」ことは否定せず(=認めた上で)、「そうなっても仕方ないじゃん」(大意)と回答する。これはなかなかできることではないだろう。

素人でアマチュアで本職があるブロガー風情に何を期待されているんですか?

 さて、本題に入るが、まずは

素人でアマチュアで本職があるブロガー風情に何を期待されているんですか?

の部分について。
 最初に指摘しておくが、何も私は、toroneiさんに「ぜんじろうさんと同程度にやれ」などと言っていない。「そう読んだ」というのなら、毎度の如く想像力の働かせすぎである。私が言っているのは、「ぜんじろうさんを『偉い』と思うのなら、自分なりに見習ってやればいいのに」と言っているだけである。
 また、この文章は、toroneiさんが(これまでと同様に)非情に単純な世界観をお持ちであることが反映されているように思われる。toroneiさんの想定する世界は、「きちんとやらなければいけないプロ」と「別にきちんとやる必要はないアマチュア」とに、きれいに二分されるのだろう。で、toroneiさんは、しばしば何も調べずに(=論じるための準備ゼロの状態で)物を言うことがある。そうした、「ゼロ状態」をも「素人でアマチュアで本職があるブロガー風情」であることをもって正当化するおつもりらしいので(そうしないと、批判を回避できない)、toroneiさんがお持ちの「プロ/アマチュア」をめぐる世界観は、次のようなものになる。すなわち、「100やらないといけないプロ」と「0でもいいアマチュア」。そして、自分は後者に位置するのである、と。
 しかし、ちょっと考えれば

1.「プロ=100」と「アマチュア=0」の2種類しかいないわけではなく、レベルが多様な中間的存在が無数にいる。
2.ゆえに、論じる対象への関わり方も、「プロ的に関わる」「アマチュア的に関わる」の2種類しかないわけではなく、いろいろな関わり方がある。
3.またそもそも同様に、アマチュアであろうとも何だろうと、それなりの物の言い方・それなりの調べ方はある。

といったことは分かるだろう。
 つまり、「アマチュアだから」ということで、ゼロ状態を正当化することなどできない。アマチュアであっても、アマチュアなりの物の言い方や調べ方はある(後述)のである。
 したがって、まとめると次のようになる。
 ぜんじろうさんなみにやればいいのに」などとは私は言っていない。「『偉い』と思うなら、せめてアマチュアなりの水準でやればいいのに」と言っているだけである。

toroneiさんのふるまいは仕方ないのか?

 それでは、toroneiさんの振る舞いは、「アマチュア」であれば仕方がないのだろうか。
 決して「仕方がない」わけではないと思えるので、そう思える根拠を二例あげたい。
 まず、1つめ。「安全圏から物を言う」について。toroneiさんは、長野で行われた聖火リレーに対して、

とにかくこの五輪はは絶対に失敗させなくてはいけない、そしてその象徴として聖火リレー、開会式、閉会式だけでも、特に中国政府が政治利用してくる場所に関しては、とことん張り合わなくてはいけない。どうか長野で行動を起こそうと考えている皆さんには、なるべく犯罪者にならない方向で、しかし国際社会に強くアピールできるようなパフォーマンスを展開してもらいたい。
(略)

こんなバカな事を抜かしている奴ら(長野市職員ら:Body注)に、冷や汗を流させなくては日本人の沽券に関わるよ。なるべくみんな犯罪者にならない方法で、ドカンとやってほしいし、聖火ランナーに決まっている人たち、特に著名人には重大な決意を持って挑んでもらいたいです。

と(http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080409/CHINA)書いておられる。
 これにはブクマでも指摘しのだが、

なるべく犯罪者にならない方向で、しかし国際社会に強くアピールできるようなパフォーマンスを展開してもらいたい。

だの

なるべくみんな犯罪者にならない方法で、ドカンとやってほしいし、

だのと言うくらい思い入れが強いのならば、安全圏から人を煽るだけではなく自分も行動を起こせばいいではないか。
 今回の聖火リレーでアピールをした人たちの多くが、「素人でアマチュアで本職がある」人々だっただろう。toroneiさんができないわけではない。
 しかしtoroneiさんは、安全圏から口で「やれやれ」と言うだけで、自ら行動することはない。この一件だけならばまだしも、こうした例(自分は動かず人を煽る)が散見される。たとえば、私がtoroneiさんのことを知った、「ライブに行きもせず、人の感想に基づいて誤解をし、誤解に基づいてライブ関係者を散々非難する」(http://d.hatena.ne.jp/Body/20080415#p1http://d.hatena.ne.jp/toronei/20060228/J)などもまさにそう。過去、サッカーのことでは比較的行動しておられたらしいtoroneiさんに、一体どのような変化があったのか不思議である。


 続いて2つめ。「見てもいないのに物を言う」について。これも枚挙に暇がないが、最も典型的な例は、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20050410/Bであろうか。toroneiさんのことを知り、toroneiさんがどういう人なのか、ウォチスレの過去ログとtoroneiさんのブログを参照していたときに知ったものなのだが、以下のような出来事があった。
 toroneiさんは、『クイックジャパン』(確か59号)でお笑い特集がなされていることを知り、以下のように非難を浴びせた。

だいたいサブカル雑誌のお笑い特集なんて本気で読んでる人いるの? あんなんは藤本義一の漫才評論とかと同じというか、まだ藤本義一の方がマシと思うこと多数だと思うんですけどねえ。

あいつらはラーメンズとかバナナマンとか笑い飯とかを、分かったと勘違いしてエリート意識を自己満足させていれば良いんですよ、くだらない。安田大サーカスを真正面から取り上げてから言ってみろってんだ、矢野・兵藤の漫才がどんな形で完成しているか分析してみろちゅうねん

しかし、実際には、安田大サーカスはこの号で取り上げられていた。そのことがコメント欄で指摘をされ(現在はコメント欄が閉じられているが)、先日と同様に(http://d.hatena.ne.jp/Body/20080427#p1)変な方向への訂正文が入れられた、という顛末があった。
 これなどは、実際に『クイックジャパン』を読んでおけば避けられたミスであろう。批判対象を読まずに批判をするという、toroneiさんの悪癖が典型的に表れた例である。これは「素人でアマチュアで本職がある」人間には無理なことであろうか。言うまでもないが、そんなわけはない。『クイックジャパン』は大抵の本屋においてある。誰が・どう取り上げられているかを把握するなど、本を手に取れば誰にでもできることである。
 また、これもやはり、同様の例が多くある。マーティ・フリードマンに関する誤解(というよりもうほとんどデマ)(http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080422/AA)も同様である。さらには、ここのところ批判が多くなされている「調べずに物を言う」も同様だろう。少しくらいネットで検索でもしてみればいいのに、それもせずに(あるいはわざわざ間違ったソースに飛びついて)何かを論じるのは、toroneiさんの得意技である。が、これもアマチュアであろうとなんだろうと、クリアできるレベルの水準である。また、私がtoroneiさんのアフィに引っかかっているのもこれと関連していて、どうも実際に目にしていない(だから言及がない)のに、タイトルの関連性だけで掲示されているアフィがある(たとえば、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20070120/Eでは、森巣博森達也の本を掲示しているが、これなどはtoroneiさんの思想とまったく相容れない本であるはずだ)。こうした点からも、同様の指摘が導かれる。


 以上より、私は、toroneiさんが「素人でアマチュアで本職がある」人ができる範囲のことすらしていないと判断したわけである。ぜんじろうさんの行動を賞賛しているにもかかわらず、である。したがって、「なら見習えば?」と指摘したのである。

まとめると

 つまり、上を簡単にまとめると次のようになる。
 「素人でアマチュアで本職があるブロガー」であろうとも、できる範囲のことはある。(こんなことを一々言わなければいけないのも大変なことであるが)私は、「プロと同程度にやればいいのに」と言っているわけではなく、「せめて少しでもやればいいのに」と言っているのである。世の中0か100かの2種類しかないわけではない。が、toroneiさんは、「プロ」を100に、自分を0に置き、「何で100しないといけない」と言っている。「せめて(現在0なレベルのこともあるから、各事象に対して)10くらいはできるでしょう。ぜんじろうさんを偉いと思うなら、それくらい見習えば?」というのが、私のブクマコメントの含意するところである。

ぜんじろうさんというプロに対して、あなたがそれを僕と比較するのは失礼ですよ

 以下は余談だが、

ぜんじろうさんというプロに対して、あなたがそれを僕と比較するのは失礼ですよ

ここもものすごい勘違いをしておられる。私はぜんじろうさんとtoroneiさんを比較などしていない。つまり、「ぜんじろうさんと比べてtoroneiさんは」などと言っていない。
 ぜんじろうさんのような「プロ」との比較などしなくても、「素人でアマチュアで本職があるブロガー」の中でも群を抜いて、toroneiさんの非現場主義・調べもせず物を言う主義(これをまとめて反知性主義と言ってもいいかもしれない)は突出しているから。
 これで、ぜんじろうさんを見て、「現場に行かなくても物は言えるのに」と言うのならば(その物言いのおかしさはおいておいて、態度として)一貫しているが、そうではなかった。toroneiさんが、ぜんじろうさんの現場主義を「偉い」とおっしゃっておられたので、「なら見習えば?」と指摘させていただいた。

最後に

 このエントリの最後に、toroneiさんの無責任さを指摘しておきたい。
 toroneiさんの、

素人でアマチュアで本職があるブロガー風情に何を期待されているんですか?

という文章からは、ご自身の言論への責任を回避しようという姿が見える。 
 つまり、「素人でアマチュアで本職があるブロガー風情」の言うことに何かを期待するのは変だ、という主張(で、その反語的表現として疑問文となっている)と読める。
 しかし、上にも書いてきたように、「素人でアマチュアで本職があるブロガー風情」であっても、動きうること・調べうる範囲のことはある。それを、さも「素人でアマチュアで本職があるブロガー風情」は何もできないかのようにして、自らの言論へ責任を取るまいという姿(あるいは自らの言論への批判をかわそうという姿)は、大変みっともない。
 toroneiさんは、ブログ上で、他者を批判・非難することが結構多い。他者に言及する以上(というよりも、論を外部に発信している以上)、言論には責任が発生してくるものなのだが。もう少しこの辺も(正当化とはまた別の方向で)考えてみられたほうがいいのではないだろうか。もちろん、プロの文筆家と同程度の責任とは言わないが、それなりの責任はある。上述したことと繰り返しになっているが、為念。