toroneiさんからの応答来ず

前の日記で、私は、

「読みたくない」という部分だけならば、「どの部分が『読みたくない』かを言えばそれは別にかまわないだろう」と思えるのだが、なぜそれを他人に「読ませたくない」のか。その理由が全く明らかになっていない。「読ませたくない」ということが、トラバ削除の理由の大部分を占めていると思われるので、なぜ、中傷的なものだと読者に「読ませたくない」のかをきちんと説明していただければありがたい。

また、念のために言っておきたいが、私は「煽るような口調」を用いたという意識を持っていない。どれが、なぜ「煽るような口調」と判断できるのか、指摘してもらえればもう少し考える余地も出るが、これだけでは何とも言いようがない。

このエントリの最後に、一点質問したい。toroneiさんは、「批判」と「中傷」にそれぞれいかなる定義や判断基準を持っておられるのだろうか。

という3つの問いをtoroneiさんに向けて出した。
つまり、「読ませたくないって何で?」「煽るって何が?それを言ってもらえないと、ブクマを省みようもないよ」「批判・中傷の定義を教えて」という3つの問いである。
しかし、その後、toroneiさんから説明をいただけていない。
一方では、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080311/Ahttp://d.hatena.ne.jp/toronei/20080313/Uといった、「toroneiさん自身によるブログ論」を続けて書かれている。この、toroneiさん自身によるブログ論が、何らかの応答になっているのかと思って読んでいたが、こちらが指摘したことを考慮しておられる様子も全くないし、こちらが問うたことを説明していただけているわけでもない。
それどころか、

基本的に僕は自分基準において「付き合う人」「付き合わない人」を決めるのは、大事な自己防衛だと思います。http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080311/A

だとか、

こういった事やブクマなどの評判を気にしてまで、個人の趣味のブログはやるべきではない。そっちに気を遣うぐらいなら、とにかく駄文でも書き散らしでも落書きでも良いから、とにかく書いておく事の方が大事です。ブログは深夜ラジオやトークライブと同じ、とにかく何でも良いから喋るのと同じ気持ちで書くことが大事、僕がこのブログを始めたときに最初に考えた事は「深夜ラジオのフリートークのノリ」でしたが、いまこうやってやつていて思うのは、喋った方が楽かなあと思うぐらい、文法や文章の正確性よりも、喋り言葉に近い書き方でライブ感を出す、とにかく間違っていても良いからその時の感情を優先する事、「どれだけ遅れてもその日の話をその日に書く」というのも、そういう考えを元にしてやつている。http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080313/U

だとか、自分のブログで付き合う人は「自分基準」であること、自分のブログに価値はないということ、自分が書いたことに無責任であることを正当化する文章を乱発しておられる。
別に、自分基準で付き合う人を決めること自体もかまわないし、無責任なものを書いていると自覚していること自体も結構なことであるが。どうしても私には疑問が浮かぶ。以下、疑問を述べていく。

(1)toroneiさんは、「付き合う/付き合わない」ということと、「(コメントや)トラバを許可する/削除する」ということをイコールで考えておられるのではないか。

これまでに問題視されてきた(そして私も指摘した)、批判トラバの削除は、「付き合う/付き合わない」といった次元とは別の問題である。「批判トラバに答える/答えない」ならばイコールで結びつけることもある程度妥当かもしれないが。トラバを削除するということは、「自分への批判と付き合わない」ということではなく、「自分への批判を不可視化する/抹消する」というものと近い。トラバ削除を正当化したいのなら、付き合い方とは別の次元で正当性を論じる必要があるはずであろう。

(2)無価値であるとしつつ、批判を消すのはなぜか

自分で「ブログは無価値」とするのなら、なぜ批判的なトラバを削除するのか。また、なぜ「読ませたくない」などと、読者からの評価を気にするのか。無価値なものと思っているのなら、批判も含めて読者の読みに任せればいいではないか。にもかかわらず、特定の批判を、基準を示すことなく「中傷」と非難し削除するのか。結局のところ、toroneiさんは、「批判によってブログの価値が減ずる」と考えており、だからこそ「ブログの読者に読ませたくない」と考えておられるのではないか。要するに、「無価値である」ということと、「読ませたくない」という態度は両立しないのである。「読ませたくない」というのは、自分の書いたものを保護し、自分の書いたものへの読者の評価を守ろうとする人が取るべき態度なのだから。

(3)無責任さの正当化が達成できていないことと、その他に考えるべき無責任さがあること

3点目。toroneiさんは、

とにかく何でも良いから喋るのと同じ気持ちで書くことが大事、僕がこのブログを始めたときに最初に考えた事は「深夜ラジオのフリートークのノリ」でしたが、いまこうやってやつていて思うのは、喋った方が楽かなあと思うぐらい、文法や文章の正確性よりも、喋り言葉に近い書き方でライブ感を出す

とし、自分は「正確性」よりも「ライブ感」を重視していること、だからこそ、「文法や文章の正確性」が結果的に損なわれていても、それに責任を持とうとしていないことを述べておられる。これは2つの点でおかしい。
第1に、「文法や文章の正確性」と「ライブ感」は二者択一のものではない。「文法や文章」を「正確」にしつつ「ライブ感」を出すことは可能である。「ライブ感を保とうとしているがゆえに、文法や文章が正確でなくなる」などと主張したら、モデルとしておられる「深夜ラジオ」の担い手が怒るだろう。また、世の中に多く存在する、「ライブ感」を備えてニュースを発信している人に失礼である。たとえば、句点と読点をきちんと使い分けないことで、どれだけ読みにくくなっているか。そして、きちんと使い分けることにどれだけの手間が必要なのか。ご自分の文章に対する雑さを、一般化・必然視するのはやめたほうが良かろう。
第2に、toroneiさんが問題視されているのは、「文法や文章」の正確性だけではない。事実に関しても、正確性を欠いていることが結構ある。たとえば、http://d.hatena.ne.jp/toronei/20080310/Dでは

日本のスポーツ選手とか、アーティストって絶対に自分たちの商売の邪魔にならない程度にしか、物言わないですよね

などとおっしゃっているが、ブクマでも指摘したとおり、フリーチベットを訴え続けている日本のアーティストは多い(スポーツ選手については、私は知らないので述べない)。その他にも、事実を誤認しておられる例は多い。こんなことは、googleでも用いて少し調べれば分かることである。
toroneiさんは、ここのところの文章において、「事実に対する正確な把握が欠けている」というこれまでなされてきた指摘を、意識的にか無意識的にか無視しておられるようだが、こちらについての正当化はどのようにやっていくおつもりなのだろうか。言うまでもないが、「ライブ感」ということで、事実への正確性の欠落が正当化されることはない。

(4)やや蛇足ではあるが

最後に。やや蛇足ではあるが、

とにかく間違っていても良いからその時の感情を優先する事、「どれだけ遅れてもその日の話をその日に書く」というのも、そういう考えを元にしてやつている。更新が遅れたけど書きたい事があるときは、この日にどう思っていたかを思い出してその時の気持ちを書く、思い出せなくなったことや、後日談で思いが更新されたものは書かないけど、更新されなかったものは書く、ただ後日談の方には触れない事もある。

というtoroneiさんの方針について、これには例外が存在することを指摘しておきたい。過去にブクマで指摘されていることでもあるが、toroneiさんは、「その日の話」じゃないものを「その日」のこととして書いたことがあり、それによって自らへの批判が出ないように(意識的にか無意識的にかは分からないが、結果として)したことがある。関連するlookeastさんのブクマを引用する。

5月23日に書き込まれたコメントに反応しているということは、この記事は23日以降に書かれたものですよね。では何故20日付としてアップしてるんですか?こんな姑息な手段で反論から逃れようとしても無駄な努力ですよhttp://b.hatena.ne.jp/lookeast/20070523#bookmark-4796125

どのような方針を持たれようと構わないし、遅れて更新しても別に問題はないと思うのだが、「自分はこうやっているつもりだ」というものと、実際の振る舞いとが一致していないので、指摘させていただく。

以上

以上である。前のエントリに関して、何らかのアクションがいただけるかと思いしばらく待ったのだが、何もないようなので、私が感じたことを新たに指摘させていただいた。
また、ブクマについても「何が『煽り』なのか」という説明もいただけておらず、そのため私としてはどういった対処もできない。元々私には「煽り」などという意図はなかったので、toroneiさんにご説明いただけない以上、自らに問題があるようにも思えない。したがって、今後とも、ブクマコメントを、主に短文で指摘できるものについて用いていこうと思う。